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色彩

2019.07.09( ) 247

こんにちは、東京営業所市川です。
梅雨寒の7月ですが、少し過ごしやすいですね。
またブログの更新が滞っているとの声が聞こえてきそうなので、重い腰をあげました
株式会社大倉では毎月社内報が発行され、社内外の情報のほかに、持ち回りで社員が寄稿するコーナーがあります。
おもしろいネタが思い浮かばないので、私がその時に書いた文章をご紹介します。
ちなみに、この話を小学生時に母に話したところ、「本当におまえは天の邪鬼だね!」と言われました


 色彩―。私に見えている色が、他の人とまったく同じだとは限らないのではないか、そんな疑問がふと湧いたのは小学生の時分だ。もし違ったとしても、それを検証する方法など存在しない。学術的にはあるのかもしれないが、そんなもの訳が分からないから納得できない。私が赤と教わったその色は、私から見て間違いなく常に赤であり、他の人には青に見えていたとしてもやっぱり赤にしか見えようがないのだ。
 そう考えるとますます疑問が膨らんでくる。桜の淡いピンクも新緑の青々とした美しさも、秋を彩る紅葉のコントラストも、みんなには私と同じように見えていないのだろうか。でもそれらはほとんどの日本人が美しいと答えるものだから、私の目というか脳には異常がないのだろう。
 そうでなければセンスの問題になってくる。あの紅葉のコントラストが私と同じ赤や深い緑や黄色に見えていないのに、美しいという人たちの感覚に問題がある。それとも私のセンスに問題があるのかな。
 ここまで考えが及ぶと、諦めが生じてきた。確かめることができないこの疑問は、自分に見えているものはこうだからと諦めるしかないのだ、と。物の見え方だけでなく、見方と見られ方は必ずしも一定ではなく、人それぞれ、またその時々によって違いが生じるものなのだろう。
 だから、どんなに説明しても誰にも信じてもらえないが、私が6年生の時に見た全長80cmを超え、直径2cm位ある大ミミズや、外房沖の夜空を素早く飛び回るUFO、一際大きく、みなとみらい地区の明るくオレンジがかった夜空に浮かんでいたUFOも、誰にも見間違いとは言い切れないはずだ。
 まあそんなことはさておき、見方、見え方、見られ方が一定ではないのであれば、節度を持った範囲でなら、誰にどう思われてもいい、少し突拍子のないことでもいい、人の目を気にせず思うとおりに生きていこう、そう思っている。新しい何かは、そんなことから生まれるのかもしれないから。


Re-soil


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